
自分らしく感性のまま、素直に生きること
まずは自己紹介をお願いします。
名古屋出身のシンガーソングライターです。
アコースティックギター弾き語りを中心に、J-POP、ロック、パンク、ブルース、レゲエ、ジャズなど幅広いジャンルを歌っています。
地元名古屋のライブバーや路上をはじめ、全国各地を巡りながら活動しており、北米・中米でもバスキングを経験しています。
音楽を始めたきっかけ、そしてシンガーソングライターとして歩み始めた原点を教えてください。
子供の頃から人前で表現することが好きでした。
小学校のときは放送室でコントをしたり、文化祭で発表会で面白い役などをやったりしていました。絵を描いたり、文章を書くのも好きでした。中学時代も体育祭で応援団長に任命されたりしました。
中3の終わり頃にブルーハーツを聴いていたんですが、そこからセックス・ピストルズと出会いパンクロックに衝撃を受けます。
高校一年の頃に祖母が亡くなり、内縁の義父とも暮らすようになるのですが、義父がドラムをやっていた影響もあり、ロックも聴いていました。
家で流れていたのはレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、フランク・ザッパ、ジミ・ヘンドリックス、日本のロックなどです。
シド・ヴィシャスの影響でベースを弾き、歌も僕が歌っていました。
地元の芸術大学に進学するのですが、外でバンドをやっていました。ブルースやレイ・チャールズなどのコピーでこのときはベースに専念していました。
バンドのリーダーとして大学内での展示会で「STRANGE LOVE」という5曲を作り、リコーダーや陶器の破片の音、朗読や即興演奏を交えた実験的な作品にしました。
大学を中退して仕事をしたりもしましたが、バンド活動を本格的に始めました。
良いヴォーカルが見つからず、僕が作った曲だし、僕が歌おうと思いました。トム・ウェイツの声に衝撃を受け、彼のように歌いたいと思いました。
バンドはFREAKSという名前で名古屋市内で活動しましたが、24歳のときに解散。
その後、大阪で前衛演劇の劇団の役者をやるも向いておらず、東京で何かを探していたときに路上演奏のバスキングと出会います。
最初はメガホンを使って鈴をつけて踊ったり、打楽器を演奏していましたが、やがて弾き語りに落ち着き、全国を旅しました。
路上演奏、花見、スナック、漁港などで演奏した資金を貯め、アメリカ、メキシコ、カナダにも渡り、現地でも沢山演奏しました。
3年間海外で過ごし、コロナ前に帰国。某コミューンでの生活を考えつつ、たまに地元に帰って福祉のボランティアやバイトをしていました。
6年コミューン生活を志しましたが辞め、音楽活動を再開。海外やコロナ時代から書き溜めていた曲をオリジナルとして歌っています。
フォークやブルースに惹かれた理由は何でしょうか?
僕の場合は、特定のジャンルに惹かれたというわけではありません。
もともとはセックス・ピストルズやパンクロックがきっかけで音楽を始めましたが、実家ではレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、ジミ・ヘンドリックスやフランク・ザッパなどが流れていました。
ブルースや黒人音楽、ジャズに関心があった時期もあります。
ヴォーカリストとして強く感銘を受けたのはトム・ウェイツです。
クラシックも関心はありましたが、あるきっかけで聴かなくなりました。
路上演奏では日本のJ-POPやフォークソングも歌うようになりました。
ボブ・マーリー、ジョン・レノンも好きでした。
海外にいるときはニール・ヤング、ボブ・ディランなどを聴き、ヒッピーやパンクスにも様々な音楽を教えてもらいました。カントリーミュージックも好きになったりしました。
Days n’ dazeやTrevor Hallが面白いと思いました。友達と幾何学模様のライブを観に行ったりしました。
最近はフェスで音楽を聴くこともあり、T字路sなども好きです。
ご自身の歌や声で「伝えたいこと」はどんなことですか?
ありのまま、自由に生きること。
自分らしく感性のまま、素直に生きることです。
名古屋を拠点に活動されていますが、地元の音楽シーンから受けた影響はありますか?
地元の音楽シーンでは共演者と友達になったり、音楽祭に行ったり、路上で知り合った人に曲を教えてもらったりしています。
高校時代は原爆オナニーズのライブを観に行ったり、パンクバンドのライブを観に行ったりしていました。
亡くなりになりましたが、Romeo’sというバンドでベースを弾いていたこともあります。
地元の劇団で歌唱指導をしていた活動中のソウルバンドのある女性シンガーから歌を習っていたこともあります。
橋の下世界音楽祭は先日行きましが、とても面白かったです。

弾き語りで集めたお金をメキシコに持っていったと伺いました。その経緯と現地での体験を教えてください。
日本での路上演奏で得たお金を貯め、北米・中米を巡る旅に出ました。アメリカやメキシコ、カナダ、グアテマラなどでバスキングをしながら演奏し、多くの人と音楽を通して交流できました。現地で出会った人々や文化、街角の雰囲気は、自分の音楽に新しい表現や自由さを与えてくれました。
日本での路上演奏や花見、地方のスナック、漁港など色んなところで演奏してお金を貯め、色んな人と知り合い、お世話になりました。
アメリカでは路上で演奏したり、デッド・ヘッズのヒッピーの集団と仲良くなって一緒に旅をしたり温泉に行ったりしました。男も女も素っ裸でジャンベを叩いたりして面白かったです。
トレーラーハウスで暮らす砂漠の村にも行きました。
メキシコでは路上、バスの中、市場、レストランなど色んなところで演奏しました。
砂漠の中でペヨーテというサボテンを探して食べたり、ヌーディストビーチや山、街などに行きました。
現地のヒッピーやパンクとも友達になり、実家に泊めてもらったり、友達はジャグリングをして、僕は歌とギターで周ったり、ヒッチハイクもしました。
グアテマラではドラムサークルなどに参加し、カナダでは路上演奏やチェリー農家の収穫をしていましたが、バンクーバーのジミヘンドリックス、ボブ・マーリーシュラインのオーナーに気に入ってもらってそこでボランティアをしました。
そのシュラインのオーナーがやっている宿の清掃ボランティアをして、皿洗いをながらロックスターを目指していました。
宿で出会った日本人やミュージシャンたちと今でも仲良くしています。
ヨガのインストラクターの資格をとって、何度かメキシコにカナダから渡りました。
その際にインディアンのペヨーテのシャーマンと出会いました。
それからバンクーバーの教会でボランティアをしたりクリスチャンとして生活、ヘイスティングストリートというスラムでのボランティアも経験しました。
カナダのコミューンで洗礼も受けました。
帰国後は京都のコミューンで生活しました。
海外で音楽を届けることと、日本での活動の違いはどんな点にありますか?
海外の方が日本よりも芸術家やミュージシャンが生きやすいと感じました。
自分らしくいられるし、反応や感情表現ももっとダイレクトで、音楽を楽しむ文化が沢山あります。
来年また海外に行きたいと思っています。
曲づくりをする際に、日常のどんな瞬間からインスピレーションを得ることが多いですか?
色んなことからインスピレーションを受けます。
旅をしていたとき、今はしていませんがヨガをしていたとき、ボランティアをしていた時、公園でひらめいたり、ギターを弾いて閃く時もあります。
文学や哲学なんかからもインスピレーションを受けることも20代の頃はありました。
最近リリースされた「Gypsy Soul Music」にはどんな想いを込めましたか?
カナダにいる時に着想しました。宿の清掃のボランティアをしていた時です。
放浪を得て、自由を求めて地元を飛び出し、新しい土地に希望を持って書きました。
メロディや歌詞などストーリーがどんどん閃き、英語でも書いてみたりしました。
ライブ活動で特に大切にしていることは何ですか?
人との出会いや心の交流も大事にしています。

ご自身にとって「音楽と人生」はどんな関係にありますか?
僕には音楽しかなかったです。
色々な他のこともしてきましたが、結局音楽が自由や自分らしく生きること、常に新しい刺激を与えてくれます。
人との出会いや体験、旅などは音楽があったから出来たことです。
音楽以外で大事にしているライフスタイルや習慣を教えてください。
今は音楽以外のことを考えたりすることを辞めています。
他のことに集中してしまうと音楽が出来なくなってしまうので、強いて言うなら人と対話をしたり、本を読んだりですね。
普段はどんなふうにリラックスやリフレッシュをしていますか?
音楽を聴いたり、食事を取る程度です。
本を読んだりもします。
ヨガや瞑想をしていた時期もありましたが、今はしていません。
これから挑戦してみたい活動や夢はありますか?
アルバム制作をリリースに取り掛かっています。
色んな方面へ活動も広げていきたいですね。
小さいバーなどでツアーもしてみたいです。
フェスなどにも出てみたいです。
海外にも来年行こうと考えています。
最後に、「SOULFUL DAYS」を読む大人世代の音楽ファンに向けてメッセージをお願いします。
こう言った発言の機会を与えてくれてありがとうございます。
あなたらしく、思うままに生きてください。
音楽にはそれを成し得る力があります。
決して負けないで自分らしく生きてください。

名古屋出身のシンガーソングライター。
アコースティックギター弾き語りを中心に、J-POP、ロック、パンク、ブルース、レゲエ、ジャズなど幅広いジャンルを歌う。
地元名古屋のライブバーや路上をはじめ、全国各地を巡りながら活動を続けている。
これまでに北米・中米でもバスキングを行い、旅をしながら音楽を届けてきた。
海外では Ken Furusaki
楽曲リンク