
言葉にならない想いを音楽にできたこと
まずは自己紹介をお願いします。音楽活動を始めたきっかけも含めて教えてください。
LOA(ex MASA YOUNG)です。先日、長年、使っていたアーティスト名を改名いたしました。弾き語りを中心に、路上ライブや大小様々な規模のイベントで歌っています。音楽を始めたきっかけは、簡潔に言うと「自分の気持ちをうまく話せなかったから」だと思います。歌えば、思っていた以上に伝わる気がしました。
MASA YOUNGという名前には、どんな想いや意味が込められていますか?
LOAという名前は、「フォークロア」の“ロア”から着想した造語です。
即興で歌をつくったり、ライブのその瞬間に言葉や歌詞を変えたりする自分の表現スタイルと、ロアの意味が重なり、語り継がれていく童謡や民謡、時代の中で生活が物語になり、それを音楽にするシンガーソングライターは、伝道師のような存在だと気づきました。
誰かの日常や感情を、歌というかたちで届ける、そんなイメージを込めた名前です。ロアには古くから”伝える”という意味があるそうです。

ギター弾き語りというスタイルにたどり着いた理由は何だったのでしょうか。
いつでも、どこでも、一人から音楽活動ができるからです。
弾けない頃は、カラオケに合わせてメロディも歌詞も変えながら、即興でオリジナルソングを作っていました。
歌を生み出すのに、特別な環境はいらない。すぐそばにギターやウクレレがあればいい。その手軽さと自由さが、自分にとっていちばん魅力的でした。
長く続けている路上ライブは、あなたにとってどんな場所・存在ですか?
たくさんの人生を教えてくれる、なくてはならない場所です。
誰も聴いていない日もあれば、ふと立ち止まってくれる人がいる日もある。評価が一瞬で返ってくる場所だからこそ、音楽の体温を忘れずにいられます。
そこで出会った人たちから聞いた人生の数だけ、自分の人生も豊かになってきた気がします。今の自分が在るのは、路上ライブを続けさせてもらえたおかげです。
音楽を続ける中で「これは転機だった」と感じる出来事はありますか?
15歳から数年間、中高と不登校の時期に、一人で部屋にこもり、言葉にならない想いを音楽にできたことが大きな転機だったと思います。
嬉しいことも、辛いことも、いろんな感情が歌詞やメロディを深くしてくれると気づいてからは、どんな出来事も音楽の糧になると前向きに捉えられるようになりました。
もう一つの大きな転機は、路上ライブで歌ったお礼にチップをもらえるようになったことです。自分の音楽が、誰かの心にちゃんと届いていると実感できました。

歌詞を書くとき、いちばん大切にしていることは何ですか?
実体験や、本当に自分が思っていること、リアルであることを必ず大切にしています。
フィクションを書くよりも、そのほうがちゃんと伝わるし、時間が経っても残る歌になることが多いからです。
仕事の依頼でフィクションを書くこともたまにありますが(笑)、そういうときも必ず自分のリアルな経験値を歌の中に込めるようにしています。
自分の楽曲は、どんな人・どんな瞬間に聴いてほしいと思っていますか?
何気ない日常に、BGMのように流れ続けても飽きない音楽でありたいと思っています。
頑張れない夜、前向きになれない朝、答えが見つからないとき。穏やかな日常でも、ささくれた心のときでも、人生を通してそっと隣に置いてもらえる。そんな、目立たないけれど寄り添える音楽でいられたら嬉しいです。まさに、自分にとってそれはフォークソングです。ボブディランや、ジャックジョンソンみたいに。
日常生活の中で、音楽制作のヒントになることはどんなことですか?
日々が重なっていくごとに、人生も音楽も、シンプルなものの中にすべてが詰まっていると感じるようになりました。
今の生活環境は、そうした感覚を自然と育ててくれています。
一人で弾き語りを続けているのも、年齢を重ねた今だからこそ、いちばん魅力を感じられる表現だと思えているからです。

音楽以外で、心を整えたりリフレッシュするために大切にしている時間はありますか?
料理をしたり、ファッションを楽しんだり、ショッピングに出かけたりする時間です。
アクセサリー製作やデザインも、頭を空っぽにしながら手を動かせる大切なリフレッシュになっています。
あとは、オセロニア。勝ち負けに一喜一憂しながら、音楽とは違う集中ができる時間も、良い切り替えになっています。
これまでの活動の中で、特に思い入れのある1曲を挙げるとしたらどの曲ですか?
たくさんあって一曲に絞るのは難しいですが、今ぱっと浮かぶのは、オリジナル曲の「本日は晴天なり」です。
この曲は、認知症をテーマに活動している劇団たけちゃん一座の舞台『本日は晴天なり』のテーマソングとして、台本をもとに書き下ろしました。
今から20年ほど前のことになりますが、シンガーソングライターとしての自信と勇気をもらった、思い入れの深い一曲です。

年齢を重ねることで、音楽との向き合い方に変化はありましたか?
音楽は、子どもの頃から今に至るまで、ずっと変わらず自分にとっての精神安定剤です。変わったのは歌うテーマでした。10代、20代は恋愛の辛さや喜びが中心でしたが、30代、40代になるにつれ、生きることそのものの悩みや葛藤、自分が乗り越えてきた人生のストーリーが軸になっていきました。聴くものもラブソングや青春パンク、サーフミュージックだったのが、レゲエ、フォーク、カントリー、ジャズと、ルーツを探って聴いたりするようになりました。インストを聴けるようになったのも大人になればこそですね
「続けること」の難しさと、それでも続けてこられた理由を教えてください。
続けることがいちばん難しいと感じるのは、飽きてしまったり、マンネリを感じたり、スキルの伸び悩みにぶつかったときです。
ただ、今はその付き合い方がわかってきました。飽きないようにカバー曲のアレンジを季節に合わせて楽しんだり、新しい音楽機材を取り入れてみたり、まだ出来ないスキルを練習したり。
そうやって音楽との距離感を調整しながら、無理なく続けてこられたのだと思います。
これから挑戦してみたいこと、音楽で描いている今後のビジョンは?
ドリンクや軽食を提供するフードカーを取り入れた活動に挑戦したいと考えています。
路上ライブで培ってきた経験に、料理やデザインの要素を掛け合わせて、「出張カフェライブ」のような形をやってみたい。
音楽だけでなく、自分が「喜んでもらえる」と感じてきたものをすべて組み合わせて、その場所や空間そのものを心地よく演出できたら幸せだなと思っています。その体験をゆくゆくは、音楽家を目指す人に”こういう生き方もあるぞ!”と、伝えられるように体現したいです。

最後に、今この記事を読んでいる人・音楽を続けたいと思っている人へメッセージをお願いします。
路上ライブという文化は、たくさんの名もなきミュージシャンや大道芸人たちが築いてきたからこそ、今も残っているものだと思います。技術や生き方を受け継ぎながら続いてきた、ひとつの大切なアート表現です。
だからこそ、奏でること、そして応援してくれる人への敬意を忘れずに、音楽と向き合っていけば、必ず自分の道は拓けるはずです。
たとえ続けられない日があっても、立ち止まっても、遠回りしても、辞めなければ夢はいつか形になります。このインタビューは過去から今まで続けさせてくれた人たちの記憶と記録です。あなたにもエールを込めて!負けるな!

15歳からギターを始め、作詞作曲をする。弾き語りを中心に活動。
路上ライブや大小様々なイベントに出演。即興ソングやその場の空気を取り込んだ表現をいかして、日常にそっと寄り添える音楽を大切にしている。
現在はイベント企画、出張ライブ、レッスンなども行い、独自の音楽理論と人生哲学を交えて奏で伝えている。