
音楽はプレゼントのようなもの 今度はボクがプレゼントする番
ロンドンで過ごした日々が、今の音楽スタイルにどう影響していますか?
まず、今回はインタビューしてくださりありがとうございます。
興味を持っていただき嬉しいです。
ロンドンで過ごした日々、あの悶々とした高校時代をどんよりと美しいロンドンで過ごしたこと、エレキギターのショッキングな音色に触れられたこと、ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンの音楽に出会ってドレミからはみ出した壮大な世界に赦しや救いを感じたこと、それら全てが今の音楽の土台になってると思います。
でも一番影響が大きいのは言葉かもしれません。英語で暮らした日々、英語のリズムやスイング感が身体中の細胞に染み付いたことは大きいです。それが英語を歌うときはもちろん、日本語で歌うときでもなんらかの形で影響されているみたいで。ロンドン時代が無ければ今の音楽は無いです。
帰国後にギタリストとしてキャリアを積み、ソロを始めたきっかけは何でしたか?
プロになってからも憧れと現実の間で泣かず飛ばずな時期が続き、そんなときに震災があり、僕らいつ死んでもおかしくない、今日から毎日が終活、という思うようになり、ならば、生粋の自分の音楽、自分のメロディー、自分の言葉、自分の声、を残して死のう、と思うに至りました。それがソロです。
そんなときにピンク・フロイドのトリビュートプロジェクトで訪れたライブハウス、神戸チキンジョージのオーナーに「来年は自分の音楽で帰って来い」と打ち上げの席で誘っていただき、ソロ活動を一気に本格化させました。
初のソロ作品『I AM』、その時に「これは自分だ」と感じた瞬間は?
2016年の「扇田裕太郎 一人ピンク・フロイド」でのフジロック初出演が決定打になってそこに間に合わすようにと初作品『I AM』を創りました。
たった5曲のミニアルバムですが、1曲目から5曲目まで順番に聴くと一つのストーリーになるような、いわゆるコンセプト・アルバムになっています。初作品が時代と逆行するコンセプト・アルバムというのは、すごく自分らしいと思います。
なかでも『何にもやる気がおきない』や『Everything Will Be Destroyed』のようなネガティブソングから『Now I Am』というあらゆる信念から開放されたまっさらな「自分」に気づいていく過程は自分の人生そのものっていう感じがして今でも特に大切なアルバムになってます。

『I SING』や『I FEEL』では、表現や声の使い方に明確な変化が見えますが、自覚はありますか?
シンガーになったのがわりと最近なので、そもそもこれが自分の声だ、というような決まったスタイルに限定していなくて、ポール・サイモンみたいな繊細な表現、ロバート・プラントみたいなシャウト、ボノのセクシー、ディランの硬派、どれも好きなので、楽曲やアルバムに対する自然な解釈で歌うようにしてます。逆にいうと何をやっても自分だと思ってます。
『I AM』はポール・サイモン的な繊細な世界でしたが、『I SING』と『I FEEL』はライブで全国をまわる活動とリンクしてしっかり歌う方向にシフトしたというのもあるかもしれません。
そういう意味では自覚はあると言えばありますが、今でも『I AM』みたいな歌い方をする曲もあるし、自分の中ではあまり限定してない感じですね。
一つ明確に違うのは2019年以降は他の仕事をいっさいやめて、シンガー・ソングライターだけでやっていこうと決めたので、その決意や覚悟みたいなものは明確な変化として歌に表れているかもしれません。
ライブループを駆使した一人バンドスタイルはどのように生まれたのか?
ロックバンドの音楽が好きで、でもバンドをやると時間もお金もたくさんかかって行き詰まってしまう、というジレンマを何度も経験して、自分一人でバンドサウンドに近いギリギリをやってみたいというチャレンジです。「ネオROCK弾き語り」みたいな新ジャンルを開拓する気持ちで今はやれることを何でもやってみてる段階、まだまだ道半ばで進化中です。とりあえずはLOOP組むことでエレキのギター・ソロが可能になるのでそこは自分のライブの重要なポイントになっています。
原始神母やWTAROとしての活動と、ソロとの違い・共通点は?
原始神母はピンク・フロイドのトリビュートバンドですし、僕はボーカルやギターよりもベースを弾くことが多いので、ソロのときとはかなり違う感覚です。あと、すでにギネスブックに載っているような世界中のロックファンに愛されている音楽なので、音楽の良さや役割に対して無責任でいられるというのもオリジナルの音楽とは違うポイントです。ステージ上も客席もみんな横並びでピンク・フロイドファンみたいな。ソロ活動と共通するのはロックの魔法を広めたいという思いの部分ですね。
WTAROの方は満園庄太郎という爆発的なアイコンとの出会いが全てで、お互いのソロを合体させたようなプロジェクトなので、僕の曲に関してはどれもソロ活動の延長で庄太郎さんにサポートしてもらうような感じになってて、庄太郎さんの曲に関しては逆にギタリスト、アレンジャー、プロデューサーとしての扇田裕太郎を楽しんでもらえると思います。

自分の音楽をどんな人に届けたいと感じていますか?
音楽の感動や興奮、楽しさを知らないで死んでしまうなんて本当に人生もったいないと思ってます。
生きてるうちにいろんな世界に触れていろんな経験をすることが醍醐味、そんなちょっと冒険心あふれる人、毎日同じようなことの繰り返しでつまらない、日常から離れてどこかへ行ってしまいたいけど現実的には難しいかな、という状況にいる人、洋楽が大好きだけどチケット代高すぎるし、かといって日本のロックにはどうしても馴染めない人、40代50代になっていろいろ疲れてきたけどまだまだ頑張らねば、という人。思いつくままに並べてみましたが、そんな人達が扇田裕太郎を「見つけた!」って喜んでくれたときの笑顔や言葉が活動のモチベーションになってます。そんな人に届けたいです。
ご自身の暮らしの中で、音楽はいつもどんな位置にありますか?
音楽はプレゼントのようなもので、これまで散々プレゼントしてもらって来たので、今度はボクがプレゼントする番、と思って活動してます。それでも相変わらずたくさんいただいてばかりで、サプライズや正直さ、誠実さや勤勉さ、戯けや楽しさ、音楽のそういう何もかもが日々の暮らしを豊かにしてくれてます。音楽=人生っていう感じかも?
Flower Studio(ご自宅スタジオ)での毎週配信は、どんなことを自分に問いながら続けていますか?
サプライズはあるか?深みはあるか?進化しているか?なあなあになってないか?
毎週のYouTube無料配信が215回を迎えたところですが、やはり毎週のことなので、新鮮さを保つのが難しいところがあるので、そこに関してなるべく危機感を持つようにしています。カバーのレパートリーを増やす、新曲をつくる、即興をやる、LOOPやエフェクトで新しいサウンドを導入する、とかですね。
あとは、一人で部屋の中でやってることなので、モチベーションが上がらないときは、楽しみにしてくれているファンのことを思い浮かべます。ファンになってよかったって思ってもらいたい。その考え方は「そんなのロックじゃねえ」「媚びてる」っていう意見もあるのですが、やっぱり毎週のように90分以上ものそれぞれの大切な時間を共有してくれるファンがいること、それはコロナ禍に咲いた奇跡の花だと思ってて。期待に応えたいって心から思います。問いで言うならば、全力でやれてるか?なあなあになってないか?そんな感じです。
ロックやギター、音楽の時間と日常生活とのバランスはどう取っていますか?
自宅にスタジオがあるので、日常と音楽の区別が無くなってます。
バランス悪いですね。家族にも迷惑かけてると思います。そして助けられてます。
ギターやルーパー、機材を整える時間も大切にされているとか。それはどんな瞬間ですか?
それは音に潜り込む瞬間です。
結局どんなサウンドが胸に響くか、そのためにギターの調整や機材のセッティングをする。
曲の練習と同じくらい、もしくはそれ以上に大事にしたいと思ってます。
旅や海外の経験、特にイギリスでの高校時代は、今も生活に影響を与えていますか?
生活への影響でいうと、わりと気軽に知らない人でも声掛けてしまったりするのは海外生活の影響かもしれません。あとは先輩後輩とか上司部下とかマウントとか、するのもされるのもあまり得意じゃないので、縦社会では借りてきた猫のようになってしまいます(笑)なので逆に、年上も年下も全員心から尊敬できるポイントを探すようにしてます。
あとはなんだろう?日本以外の世界を知っていることは、日本を知るということにもなっていて、日々の生活の中で日本の素晴らしいところや日本の良くないと思うところに気づく、という影響がある気がします。

音楽以外でリセットされる時間、趣味や本、映画、散歩などあれば教えてください。
美味しいご飯やお酒、そして近所の公園を散歩しながら意識のワーク。
人との出会いと再会。あとは3年前に始めた初動負荷トレーニングが心身共にリセットになってます。
「表現者としての自分を整える」ために日々している習慣やルーティンは?
朝のジャーナリングと意識の中の要らない部分を削ぎ落とすワーク。
ボイトレとギターの練習。あとは良い音楽を聴くことですね。
自分の感動、自分の興奮、を自分なりに再現することしかできないので、感動を生み出すにはまずは自分が感動することから、と思ってます。
あとは音楽活動をやってる誰もが経験すると思いますが、主に集客での落胆というのがあって、これまで何度も胃が痛い思いをしてきましたけど、過去を解き放って未来に向き直す時間をつくるようにしてます。落胆を背負ってたら小さい音楽になってしまう感じがして。
あと一番大事なのは今いるみんなへの感謝ですね。感謝はすごい力になる気がしてます。
SOULFUL DAYS の読者へ、扇田裕太郎さんらしい「ちょっと胸が熱くなる」一言をお願いします。
長いインタビュー読んでいただきありがとうございました!
他のインタビューも全て読ませていただきましたが、チャレンジをやめない大人たちがここに集結している有り様に感動しました。諦めたらゲームオーバー。40代50代からが人生の本番だと思ってます。どうしても辛くなったらスレスレで頑張りつづけている僕のライブを観に来てください。僕は失敗の数だけは誰にも負けないので、きっと笑える失敗をたくさん目の当たりにすると思います。エグいチャレンジの代償です。でも10回の失敗をみんなで笑って、1回の小さな成功を乾杯して喜びたいです。ミック・ジャガーを見習って、いくつになってもステージ立ち続ける元気な高齢者にみんなでなりましょう!僕にできることがあればお声掛けください。今日はありがとうございました!

扇田裕太郎(おうぎだ ゆうたろう)
幼少期をニューヨーク、思春期をロンドンで過ごし、帰国後に音楽活動をスタート。
早稲田大学理工学部在学中からギターを手に、さまざまなバンドやセッションに参加。
2011年の震災をきっかけに、
「ギターを弾くだけじゃ足りない」と思い立ち、シンガー・ソングライターへと転身を決意。
2016年、フジロック出演をきっかけに1stミニアルバム『I AM』をリリース。
2019年には『I SING』を発表し、「自分から出逢いに行こう」と全国ツアーを展開。
2020年のコロナ禍には、「音楽を止めたくない」と毎週の配信ライブをスタート。
2022年からは毎年ヨーロッパツアーも実施し、ライブ開催国は年々広がっている。
世界的に注目されるピンク・フロイドトリビュートバンド「原始神母」では主にベースを担当。
大橋隆志(聖飢魔II)のソロプロジェクト「Takashi O’hashi & The Sound Torus」ではギター&ボーカルを務める。
また、モーガン・フィッシャーとのDUO「NANKER’S BEST」、WTARO、The Day Sweetなど、
ロック、ブルース、サイケデリックな表現を軸に多様な活動を展開している。
綾小路 翔(氣志團)&西園寺 瞳(氣志團)とともに、PODCAST『はじめてのロックンロール・レディオ』も配信中。
毎週木曜20時には、自宅「Flower Studio」からのライブ配信も行っている。
楽曲リンクURL
“Feel Until You Are Gone / Yutaro Ogida”
“欠けたムーンライト / Yutaro Ogida”
“Echoes / 扇田裕太郎 一人ピンク・フロイド”
“Atom Heart Mother / 原始神母”