有木恭子

今できる全てを一曲に

自己紹介をお願いします。

有木恭子と申します。

昭和歌謡曲やミュージカル楽曲のカバーと、オリジナル曲を中心に歌っております。
都内近郊のライブハウスや、歌謡祭を中心に出演させていただいております。

小さな頃から背が高く、両親ともにスポーツマンだったこともあり、大学までバレーボール部に所属しておりました。今もママさんバレーボールをしており、根っからの体育会系人間。
音楽を習い始めたのは二年前から、ライブは昨年からです。
迷うくらいならならやってしまえ。しない後悔はしたく無い。チャレンジ精神は旺盛です。

歌を始めたきっかけ、そして今も続けている原動力は何ですか?

コロナが蔓延するまでは、ママさんバレーのチームで一つでも多く勝ちたいと練習に励む毎日でした。
コロナになり、急に練習も試合もできなくなり目標をなくしてしまった時に、ふと、テアトルアカデミーの応募の記事を見ました。
新しい目標ができるかもと思い挑戦し、芸能クラスのレッスンに通うようになりました。レッスンの中に歌唱の授業があり、今までの歌い方が間違っていた事を知りました。毎週習っていくうちにどんどん自分の歌声が変わるのがとても嬉しくて人前でも歌いたいと強く思うようになりました。
幸い、出演した舞台で共演した方で作詞作曲をされている方がいらして、その方にデビュー曲を書いていただきました。
それがきっかけで、歌の舞台にも立つようになりました。
昨年7月にはじめてライブに出演しました。皆さんが私の歌に手拍子をしてくれたりコールをしてくださりして感動しました。
歌はお客様との一体感を間近に感じる事ができることが魅力です。もっとレッスンをしていろんな表現ができるようになりたいと思います。

舞台や芝居の経験は、あなたの歌や表現にどんな影響を与えていますか?

私の場合、お芝居の舞台にはじめて立たせてもらったのが二年半前で、歌より先でした。元々かなりの緊張人間なので、最初はガチガチでしたが、この経験があったので、歌ではじめてライブに出た時はさほど緊張せずに歌うことができました。
あと、お芝居のレッスンで学んだ表現力、声出しや腹式呼吸などの基礎訓練も歌を歌うのにとても役にたっていると思います。

音楽活動を続ける中で「これが転機だった」と感じる出来事はありますか?

やはり、
デビュー曲
「オバさんと呼ばせない」を作っていただいた時です。

それまでは、カバー曲しか歌っていませんでしたが、オリジナルがあるということで、出演させていただける歌謡祭やライブも増えました。
それによって、いろいろな方に出会うことができて音楽活動の幅が広がりました。

あなたの中で特に大切にしている1曲を挙げるとしたら?

今回の新曲
「私を照らして〜信州ふるさと」です。

この歌の歌詞は、
私の母の故郷、長野県諏訪地方のことを書きました。
諏訪に住んでいる従姉妹にも歌詞を手伝っていただきました。
小さい頃から毎年のように遊びに行っていた思い出の場所であり、私にとっての最大のパワースポット。今でも毎年諏訪大社へのお参りは欠かしておりません。
諏訪の皆様にこの曲を宣伝するとともに、諏訪の魅力を全国の方に伝えていきたい。
諏訪方面でのイベントなどでも歌わせてもらいたいと企んでおります。

歌詞を書く、または歌うときに意識している“心のあり方”はありますか?

歌詞はとにかく出来事も気持ちもストレートに書く事。それしかできないので。
歌う時は、その楽曲の歌詞を音楽にのせて精いっぱいの気持ちを込めて投げかける。今できる全てを一曲にこめています。

影響を受けたアーティストや、自分にとって特別な存在を教えてください。

フィンガー5.ピンクレディーから始まり、中学からはラジオ人間でしたので、様々な音楽番組を聴いておりました。特にニューミュージックが好きで中でも中島みゆきさんは教祖的な存在でした。
その後、大人になってからはなぜかQueenから始まり洋楽、そしてKPOPと聴いています。

中島みゆきさんや中森明菜さんのような世界観に惹かれる理由を教えてください。

中島みゆきさんについては、言いずらいこともストレートに表現する歌詞に惹かれます。中学時代、部活が厳しく何もかも嫌になった時に中島みゆきさんの歌を聞くことで、私だけじゃ無いんだと元気をもらい頑張れました。中島みゆきさんご本人はとても明るい方なのも魅力です。
中森明菜さんについては、何に対しても妥協しない姿勢に憧れましょ。人に媚びないところとか好きです。

コロナ以降、音楽や人との繋がりに対する考え方は変わりましたか?

はい。かなり変わりました。コロナが無かったら今の活動はしていないと言えます。ママさんバレーボールが楽しくて週に3回くらい練習していました。
それがコロナがあった事でメンバー間での気持ちの温度差に悩みました。
思い切ってはじめた芸能活動に新しい目標を見つけ、悩んでいたことが嘘のように心が晴れました。
お芝居もしっかりできてないのに歌をやってもいいのかと、悩むことありましたが、現在は私の活動の中の一部になっています。

ハーブやアロマの知識を持つあなたにとって、「癒し」とはどんな意味を持ちますか?

ハーブの講座の中乃自然治癒力の講義で必ずお話しする内容なのですが、

癒し=治癒とは、生体恒常性(ホメオスターチス)を保つ事。これは、身体、心、気のバランスが取れてこそ成り立つものという事。
ハーブも、アロマは芳香療法ですし、歌う事は音楽療法として存在しています。

本来のニュートラルの自分に戻った状態こそ真の健康であり癒された状態だと思います。

歌や芝居、自然療法…それぞれの活動の中で“共通して大切にしているもの”はありますか?

10の内容とタブってしまいますが、歌や芝居も自然療法の中に存在すると言う事です。
最近は高齢者と呼ばれる年代のかたが、歌やお芝居の分野で活躍しています。
これこそ、目標があると言う事で気持ちが明るくなり、それによって身体も健康で若さを保つ事ができているのだと思います。

日常生活の中で、心を整えるためにしている習慣やリラックス法はありますか?

正直、子育てをしていた頃は様々ないストレスがありましたが、今はそんなにストレスを感じる事が無いです。
ただ、太りやすい体質なので、バレーボールや、ウォーキングなど、スポーツをしており、それが心も整えてくれている気がします。

あなたにとって、“支えてくれる存在”や“心の拠りどころ”は何ですか?

心の拠り所は、周りにいる仲間の方の存在です。自分が迷っていても応援してもらえることが活動の原動力になっています。

支えてくれているのは、何も言わず私の活動をさせてくれる家族ですね。
主婦としても仕事をサボっても文句言わず生活してくれていることに感謝です。

来年「歌をメインにしていく」と決めた今、心の中にある目標や夢を教えてください。

来年の目標は今回の新曲を長野県(諏訪地方)の方を中心にご当地ソング広めること。
夢は民放のテレビにゲストとして出演することです。

最後に、SOULFUL DAYSを読んでいる皆さんへメッセージをお願いします。

数年前までは芸能の世界とは全く違うフィールドで生活していた私が、Liveで歌ったり、舞台でお芝居をしています。
迷っていることがあったら飛び込んで欲しいと思います。チャレンジに年齢制限はありません。

有木恭子
有木恭子

有木恭子と申します。
昭和歌謡曲やミュージカル楽曲のカバーと、オリジナル曲を中心に歌っております。
都内近郊のライブハウスや、歌謡祭を中心に出演させていただいております。